2008年11月15日土曜日

組合員の持分の処分について

民法第676条1項は、「組合員は、組合財産についてその持分を処分したときは、その処分をもって組合及び組合と取引をした第三者に対抗することができない。」と書いてあるが、この規定は矛盾している。まず、「処分」というのは、同じ民法内に規定されている売買や賃貸借のことであるが、これらはそれぞれの規定によって、形式を履行すれば絶対的に有効となることになっている。もともと、売買や賃貸借というものは、その内部で手続きを完結すれば絶対的に有効となるのが本質であり、別の法律関係との相対関係で効力が左右されるようなものではない。したがって、組合員が組合財産についてその持分を処分すれば、その規定により、その処分は絶対的に有効になるはずであり、「その処分をもって組合及び組合と取引をした第三者に対抗することができない。」というように、組合との関係では処分が相対的に無効となるのは、論理矛盾である。実は、この規定は、組合財産維持という全体的価値観を組合員の持分処分行為という個人的価値観よりも優先するという立法者の主観的判断があり、この結論を引き出すために、本来行うべきでない概念の相対化(売買や賃貸借がある法律的関係との間では無効と同じ結果になるようにする)を行い、これを修飾するために「対抗」という概念を捏造しているのである。そもそも、個人主義的体系に基づく民法においては、売買や賃貸借といった私的処分は、その形式を履行すればその内部で完結しなければならず、何らかの全体的価値の下に掣肘されてはならないのであって、同様に組合契約も個人同士が組合を形成して事業を営むというだけのものであるから、その組合の組合員が組合財産のうちの持分を処分した場合にどのように処理するべきかということは、契約の論理に触れないように組合の論理で整合的に解決しなければならず、いたずらに概念を相対化し、契約の論理をないがしろにして組合の論理を貫徹しようとするのは、結論先にありきのだらしない知的頽廃というほかないうえに、実質的に全体主義を実現しようとしている点で近代民法の基本原則に抵触している。結局、この規定の背後では、組合制度と契約制度が本質的に矛盾しており、その矛盾を犯して実は全体主義を実現しようとするいかがわしい規定であり、公平に合致するものではない。したがって、ただちに改正を行い、矛盾を取り払うべきである。