2008年10月3日金曜日

民法478条が示す「法律論」のレトリック性

民法478条は、「債権の準占有者に対する弁済は、弁済者が善意無過失のときは、有効とする」と言っているが、ひどい規定である。まず、債権の準占有者の意味が漠然としすぎているし、解説を見ると、誰が見ても債権者と思える人、などと書いている。しかも、善意はともかく、無過失とは何か。これは、軽過失と重過失に分かれるらしいが、この基準も不明である。さらに、債権というのは、債権者に弁済しなければ無効というのが筋であって、債権者ではないのに債権者に「見える」者に弁済するとなぜ有効なのか。債権消滅の原則からすると完全に矛盾したことを言っている。なぜ民法478条がこのような雑な規定になっているかというと、結局は債権消滅の論理(静的安全)と権利外観法理(動的安全)について整合的な論理が得られていないからであり、このように非常に漠然とした規定のままにしておいて、後で色々に解釈して、裁判所の裁量で公益と私益を妥協させようという腹があるからにすぎない(したがって矛盾の質は民法94条と同じである)。判例は、保険金契約の「契約者貸付」(弁済ではない)の事例にこの条文を応用しようとして、契約者貸付を経済的実質において保険金または解約返戻金の前払と「同視」し、「類推適用」などという怪しいテクニックを使って弁済に契約者貸付を読み込み、さらにこの契約者貸付を受けに来た「詐称代理人」を準占有者に含め、貸付者において「相当の」注意義務を尽くしたときは、というこれまた意味不明な要件をつけて、詐称代理人に対する契約者貸付を無理矢理有効にしたことがある。「同視」「類推適用」「相当な注意」では、論理ではなくて妥協とか日本語のレトリックの次元の問題であり、ああそうですか、というしかない。実はこれは法律論ではなくて、レトリックにすぎないのである。

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