2008年10月2日木曜日

支離滅裂な民法

民法96条1項には、詐欺または強迫による意思表示は取り消すことが出来る、と書いてある。これは、詐欺や強迫による意思表示が、自由意思による円満な意思表示ではなく、自由意思による意思の合致があることが合理的という趣旨で置かれているものである。ところが、3項をみると、この取り消しは善意の第三者に対抗できない、と書いてある。この対抗できない、というのは、取り消したと主張できない、ということであろうが、この趣旨は、取引の安全と説明されている。したがって、この背後で衝突しているのは、実は取引の静的安全と動的安全である。しかし、静的安全と動的安全は論理的に矛盾する。つまり、静的安全を保護すると動的安全が害され、動的安全を保護すると静的安全が害される。したがって、民法96条1項と3項は論理的に整合していないことが明らかになる。そもそも民法93条から96条は自由で円満な意思表示の保護しており、また民法の原則もそうなっているのであるが、取引の安全を保護するというのは民法の原則にはなっていない。にもかかわらず、96条3項のような形でこっそりと取引の安全を図る条文を入れるというのは反則技である。しかも巧妙なことに、「対抗できない」という手続法的な表現にして、1項との表層的矛盾を回避しようとしているが、根底においては、取引の静的安全と動的安全が矛盾を来たしているのであって、民法96条は全体として非論理的な規定と言わざるを得ない。そういうふうにみていくと、93条は、真意でないことを知ってした意思表示は原則として有効とする、という規定も、実は取引の動的安全を図っており、静的安全を害している。ここも論理的に精密に規定された形跡が無く、適当に妥協させて強引に正当化していることが分かる。94条1項と2項の関係についても、96条の例と同様に矛盾である。95条は、要素の錯誤があったときは無効とする、と書いてあるが、これは論理的に正しい(ただし要素の錯誤の解釈について昔の判例で小難しい解釈が展開されており、せっかくの論理的規定が語句の妥協的解釈で骨抜きにされている)。強行規定をみると、90条などは、このような曖昧なワーディングで契約を無効にするのは自由の論理に反するし、91条、92条にいう公の秩序に関する規定などというものが存在するのでは、これもまた自由の論理に反するので、憲法22条との関係で合憲性が疑わしいものが多い。飛んで物権編の176条をみると、物権の設定移転は「当事者の」意思表示のみにより効力を生じる、と書いてあるのに、192条では、当事者以外の他人の物権支配にかかる物を当事者間で取引し、平穏公然善意無過失という一種の信義則的な付帯条件の下に動産占有を開始すると、その動産の物権を即時取得する、などと書いてある。176条と192条が整合しないわけである。おそらく、176条では、調子こいて私的自治を認めたが、例によって動的安全が恋しくなり、平穏公然善意無過失という公益的要件で誤魔化して即時取得を認めたのではないか。このような矛盾などは荒唐無稽すぎて少しでも論理性のある者が見れば即座に分かるのだが、実は根本において憲法が破綻しているので、結局はそこに尻を持ち込まれることになるのだろう。憲法を見てください、最初から妥協だと書いてあるじゃないですか、論理的に整合しているなんて書いてありませんよ、と。まあこんなことに気づくのはすでに年老いてからであるのが一般なので、誰もそれ以上のことは追及できないのである。このように、民法には何を言っているのか理解できないものが多数入っており、実は背後で矛盾を起こしているというものばかりなのである。このような支離滅裂なルールによって経済社会が動いており、それに誰も疑問を提出しないという知的退廃ぶりには、おぞましいものがある。

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