2008年10月2日木曜日

安全配慮義務なんて要らない

なぜ自由な社会のはずなのに安全配慮義務などがあるのだろうか。2当事者は自由に契約して双方満足すればいいわけで、契約書の中に特別に安全配慮義務を明記していればともかく、そんなものもないのに信義則などと言って安全配慮義務を強制的に課すのは、自由社会の成立に必要でもない上に、不必要に自由を侵害するものであって、違憲なはずである。また、契約約款などが存在し、これによって事実上安全配慮義務を強制する実務も違憲のはずである。そういうものは、自由社会に必要でもないし、自由を侵害するものであって、積極的に排除しなければならない。安全配慮義務の根拠となっている権利の社会化という風潮は昭和初期に出たようで、確かにドイツなどにも、害意のある権利行使は封じるという法律があるが、ドイツの例に分かるように、あくまで害意という要件を備えた場合に無効にするというふうに明確なラインを区切ってあり、日本の宇奈月温泉事件最高裁判決のように、害意に加えて社会的利害を総合考慮すると言う枠組みは、漠然としており、自由の論理に違反して無効である。実は、日本の民法は、権利の社会化などと美辞麗句を言って、これによって公益との妥協を誤魔化しているのである。しかし、注意深く論理を追えば分かるように、憲法が自由を謳っているのに、権利の範囲を社会的利害と付き合わせて総合考慮で決するという結論は、矛盾することが明白である。また、社会的利害の総合考慮で、安全配慮義務などといった義務を創設することも自由の論理に違反する。つまりこれは個人と全体の妥協というような日本の重苦しい空気をあたかも論理的であるかのように塗り潰したものにすぎない。

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