法解釈の堕落した姿は、一定の結論をあくまで前提とし,それに役立つ理由付けなら,何でもかんでももちだす解釈態度,ご都合主義な解釈手法である。実務家は具体的、切実な利害に直面することから、往々にしてこの弊に陥りやすい。代理人たる弁護士が個々の事件で展開する解釈態度にも認められるし、結論を先取りした裁判官の判決書の中でも、また、国家賠償訴訟,行政訴訟における訟務官の主張にも往々にして見られる。
田中成明氏は法解釈論争を批判的にとらえたうで,法解釈の大人の学問たる要素を改めて重視し,法解釈の科学性が乏しいことを法解釈の研究者,実務家はそれほど卑下する必要はない,むしろ,事実と価値の総合をめざす叡智の学として現代的意義がある,という。解釈学に関わる研究者や実務家はこの言説に相当、力づけられているようである。しかし,法解釈の「知的性格」をそれほど手放しに楽観する態度には賛成しがたい。実務を支配している法解釈のご都合主義ぶりは,決して大人の学問としての成熟を示しているとは思われず、無自覚な知的頽廃というべき場合が多い。
http://blog.livedoor.jp/kazsin/archives/382040.html
1 件のコメント:
そこが楽しいんだよ
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